薄れる④
ああ、どうしようか。
イルカは自分のビールを飲みながらカカシをチラと伺った。呼ばれて助かったと思い安堵したものの、彼と話すのは気持ち気がひける。身から出た錆とならぬ為にも、ここは普通に女として努めて振舞わなければ。
多少開き直りも大切だ。さっさと飲んで食って帰ろう。
グラスを見れば、手持ちの酒が少なく、メニューを取り広げる。ふと見ればカカシのグラスも残りわずかだ。
「はたけさんも、お代わり何か飲みますか」
聞けば、あぁ、と言ってメニューを覗き込んだ。
「そうね、ビールかな」
「あ、瓶ありますね。瓶ビール一緒にどうですか?」
「え?」
「瓶好きなんですよ。わ、このメーカー、いいな」
たまに飲みたくなる瓶ビール。お店によっては置いていない事もあり、見つけたイルカは無意識に言葉が出てしまっていた。
「ああ、そうね。これは苦味がいいよね」
「でしょ?王道のこっちはシャープ過ぎて飲みやすすぎるんですよ」
じゃあこっち頼みますね。とイルカは注文をして、一息つく。ビールが来るまで何か食べようと、また皿に装い、海老チリを口にする。多少辛いが美味い。このぐらいの大きさの海老なんてそう買う事すらない。その海老を一口で頬張り、口の端にに付いたソースをおしぼりで拭った。視線を受け、顔を向ければカカシと目が合う。
「あ、海老、食べますか?」
「大丈夫」
言いながらもカカシは自分を見ている。まさか自分と分かってて、と身体に緊張感が走る。海老をゴクリと飲み込み込んだ。
瓶ビールか運ばれ、イルカは取り繕うようすぐにカカシに注いだ。
ビールを一口飲んで。やっぱり美味い。内心幸せな気分に浸る。小さめのグラスをカカシは一気に飲み干した。
「久しぶりに飲んだけど、美味いね」
「ですよね。生は生で美味しいんですけど、瓶はやっぱり美味しいですね」
「そうね。分かるよ」
カカシの微笑みにホッとしながら、ビールを注ぐ。バレていない。自分がひやひやしているだけて、カカシから見たら普通の女性の筈だ。現にあの上忍も知らずに口説いてきたくらいだ。
気持ちを取り直す。
「はたけさんはあまり食べないんですね」
言えばカカシは蒸した魚をつまみながら小さく笑った。
「脂っこいから、あまりね」
「あぁ、でもここは美味しいですよ」
「うん。アンタ見てたらそれは分かるから」
笑いを含むような表情に、イルカは頬が熱くなった。
ガツガツ食べすぎていたと、言われているようなものだ。
イルカは頭を掻いて苦笑いを浮かべた。
「実は、今日昼食べ損ねちゃって、お腹空いていたんです」
「昼を?仕事忙しいの?」
はあ、と何て言おうか考える。今日は午前の授業中、別のクラスの生徒のトラブルを聞き、授業を早々に終わらせそちらに走った。昼休みはその対応と自分の授業の後片付けに追われ終わった。そのまま早々に午後の授業に入っていた。空腹に耐え兼ね途中パンを齧ったが、それでは腹が満たされていなかった。
「ええ、今日はたまたま。だから美味しく感じるんですかね」
「確かにね。ね、その指はどうしたの?」
カカシの指はイルカの手の指に貼られた絆創膏を指している。人差し指と薬指に出来た切り傷は大した事なく、絆創膏を貼って済ませていた。
いつもはゴツとした傷もある自分の手。だが、今日は変化によって女性らしい細い指に自分で違和感を感じながらもその指に視線を落とした。
午前中に起きたトラブル。それは生徒同士の言い争いから始まり、殴り合いにまで発展していた。担当していたのはまだ教員に就いて間もないくノ一だった。初めてのケースには対応に遅くなるのは仕方がない。その事に気を留めていた為、イルカは直ぐに駆け付けた。
言い争いは単に意見の食い違いからくるものだった。だが、イルカが駆け付けた時に、双方の生徒が手にしていたクナイを見て、そこから踏み込み、飛躍をし、どちらのクナイも手で押さえ、止めるのが精一杯だった。
その時に浅いながらも指に傷を負ったのだが。
普段から温厚な生徒だっただけに、頭ごなしに叱る事はできなかったが、忍具を使う事は決して許されない。お互いに話をさせ、言い聞かせた。
金髪の元教え子もよく同じ様なトラブルを起こしてはゲンコツを与えたのを思い出す。あの子だけじゃない。どの子にも心に闇を抱えている。それは些細な事で揺れ、現れてしまう。忍びの親を持つ子であれば状況は様々だ。同じ目線で、常に彼らの心と向き合わなければならない。
「ちょっと仕事で。大丈夫ですよ。すぐ治ります」
絆創膏を親指でさすりながら答えれば、カカシは小さく相槌をした。
「へえ、仕事」
その言葉にカカシを見ると、グラスを傾けながら、眠そうな目がイルカを見ていた。胡乱とまではいかないが、探る様な眼差しに慌ててイルカは頭を回した。
「あ、…子供の世話で、」
「子供」
「はい。小さな子の世話をする仕事をしてるんです」
「へえ」
興味がないような、あるような。納得はしたのか。そんなカカシはまた箸で器用に魚の身をほぐして口に入れた。
「昼抜きで、怪我までして。大変だね」
そんな事を言われると思わなかったイルカは、少し目を丸くし、すぐに微笑んで視線を手元に移した。
「まあ、でも子供は好きなんです」
「好きだけじゃ務まらないでしょ」
「はい」
イルカは素直に頷きビールを一口飲んで口元を緩めた。
「いつだって全力でぶつからなきゃいけないって思ってます。あの子らは、それを心の奥で望んでる。あの輝く目を守るのは私達だけなんですから」
まあ、体力勝負で大変なのはありますけどね。
笑ってビールを飲み干す。
本当、アイツらは木の葉の忍びとして育てるには骨が折れる。でも、楽しくて仕方がない。それはイルカの本心だった。
横を見ればカカシと視線がぶつかった。さっきと同じ眠そうな目のはずなのに。何か違うものを感じて不思議な気持ちになる。
瓶ビールを自分のグラスに注ぎ、カカシにも瓶ビールを傾けた。
「どうぞ」
「ん、ありがと」
再び目を向ければ、いつもと変わらないカカシに、内心首を傾げつつホッとした。
気のせいか。
だけど不思議だ。カカシと話すのは楽しい。きっと彼が聞き上手なのもあるだろう。当たり障りない会話でも、意見が合いビールも美味しい。
お開きの時間はあっという間に訪れた。
同僚はいつものように、上忍と二次会へと向かって行く。
イルカはその背中を眺めてほうと息を吐き出した。
自分を口説いていた上忍は、別の女性を気に入ったらしい。その女性も二次会に行くと言う。このままその2人が取り敢えずでも上手くいけば同僚は開放されるのだ。
出来ればそう願いたい。
女に変化までさせられるこっちの身にもなってもらいたいもんだ。
ゆっくりと家路に向かいながら、イルカは軽く両腕を上げ伸びをする。
今日は1日バタバタしっ放しだったな。これで帰ってゆっくりと風呂に浸かりたい。新しく買った温泉の素。あれを使おう。体術の授業の日にはあれが効くんだ。
「疲れたの?」
大きな欠伸をして、口を開けたままのイルカの前に現れたのはカカシだった。
イルカは驚きながらも無理にギュッと口を閉じた。
帰ったとばかり思っていた。
「えっと、まあ、…普通に」
カカシは小さく笑ってイルカの前まで来た。
「ね」
「はい」
カカシの顔が近ずいてくる。それはあまりにも自然で。
「良かったらもう一軒行かない?」
耳元で低い声が囁かれる。間近で見る深く輝く青い瞳に吸い込まれそうになりながらも、イルカはいつもより大きい黒い瞳をパチクリとさせた。
たぶん自分は目を丸くしていた。思わぬ相手からの思わぬ申し出。
確かにカカシとの会話は弾んで楽しかった。それはカカシも同じだったという事だろう。深く考える事はせず、イルカは微笑んで同意した。
だってこの目の前にいる男は、本気にはならない。たぶんきまぐれで。気分でまだ飲みたくて、話し相手が欲しいのだ。
カカシの本心が分かっているだけに、それは悩む必要はない。
「今度はバーでもいい?」
望むところだと、イルカはそれにも頷いた。
今日は楽しい酒が飲めそうだ。
夜空には上弦の月。朧げに鈍い光を放っていた。
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イルカは自分のビールを飲みながらカカシをチラと伺った。呼ばれて助かったと思い安堵したものの、彼と話すのは気持ち気がひける。身から出た錆とならぬ為にも、ここは普通に女として努めて振舞わなければ。
多少開き直りも大切だ。さっさと飲んで食って帰ろう。
グラスを見れば、手持ちの酒が少なく、メニューを取り広げる。ふと見ればカカシのグラスも残りわずかだ。
「はたけさんも、お代わり何か飲みますか」
聞けば、あぁ、と言ってメニューを覗き込んだ。
「そうね、ビールかな」
「あ、瓶ありますね。瓶ビール一緒にどうですか?」
「え?」
「瓶好きなんですよ。わ、このメーカー、いいな」
たまに飲みたくなる瓶ビール。お店によっては置いていない事もあり、見つけたイルカは無意識に言葉が出てしまっていた。
「ああ、そうね。これは苦味がいいよね」
「でしょ?王道のこっちはシャープ過ぎて飲みやすすぎるんですよ」
じゃあこっち頼みますね。とイルカは注文をして、一息つく。ビールが来るまで何か食べようと、また皿に装い、海老チリを口にする。多少辛いが美味い。このぐらいの大きさの海老なんてそう買う事すらない。その海老を一口で頬張り、口の端にに付いたソースをおしぼりで拭った。視線を受け、顔を向ければカカシと目が合う。
「あ、海老、食べますか?」
「大丈夫」
言いながらもカカシは自分を見ている。まさか自分と分かってて、と身体に緊張感が走る。海老をゴクリと飲み込み込んだ。
瓶ビールか運ばれ、イルカは取り繕うようすぐにカカシに注いだ。
ビールを一口飲んで。やっぱり美味い。内心幸せな気分に浸る。小さめのグラスをカカシは一気に飲み干した。
「久しぶりに飲んだけど、美味いね」
「ですよね。生は生で美味しいんですけど、瓶はやっぱり美味しいですね」
「そうね。分かるよ」
カカシの微笑みにホッとしながら、ビールを注ぐ。バレていない。自分がひやひやしているだけて、カカシから見たら普通の女性の筈だ。現にあの上忍も知らずに口説いてきたくらいだ。
気持ちを取り直す。
「はたけさんはあまり食べないんですね」
言えばカカシは蒸した魚をつまみながら小さく笑った。
「脂っこいから、あまりね」
「あぁ、でもここは美味しいですよ」
「うん。アンタ見てたらそれは分かるから」
笑いを含むような表情に、イルカは頬が熱くなった。
ガツガツ食べすぎていたと、言われているようなものだ。
イルカは頭を掻いて苦笑いを浮かべた。
「実は、今日昼食べ損ねちゃって、お腹空いていたんです」
「昼を?仕事忙しいの?」
はあ、と何て言おうか考える。今日は午前の授業中、別のクラスの生徒のトラブルを聞き、授業を早々に終わらせそちらに走った。昼休みはその対応と自分の授業の後片付けに追われ終わった。そのまま早々に午後の授業に入っていた。空腹に耐え兼ね途中パンを齧ったが、それでは腹が満たされていなかった。
「ええ、今日はたまたま。だから美味しく感じるんですかね」
「確かにね。ね、その指はどうしたの?」
カカシの指はイルカの手の指に貼られた絆創膏を指している。人差し指と薬指に出来た切り傷は大した事なく、絆創膏を貼って済ませていた。
いつもはゴツとした傷もある自分の手。だが、今日は変化によって女性らしい細い指に自分で違和感を感じながらもその指に視線を落とした。
午前中に起きたトラブル。それは生徒同士の言い争いから始まり、殴り合いにまで発展していた。担当していたのはまだ教員に就いて間もないくノ一だった。初めてのケースには対応に遅くなるのは仕方がない。その事に気を留めていた為、イルカは直ぐに駆け付けた。
言い争いは単に意見の食い違いからくるものだった。だが、イルカが駆け付けた時に、双方の生徒が手にしていたクナイを見て、そこから踏み込み、飛躍をし、どちらのクナイも手で押さえ、止めるのが精一杯だった。
その時に浅いながらも指に傷を負ったのだが。
普段から温厚な生徒だっただけに、頭ごなしに叱る事はできなかったが、忍具を使う事は決して許されない。お互いに話をさせ、言い聞かせた。
金髪の元教え子もよく同じ様なトラブルを起こしてはゲンコツを与えたのを思い出す。あの子だけじゃない。どの子にも心に闇を抱えている。それは些細な事で揺れ、現れてしまう。忍びの親を持つ子であれば状況は様々だ。同じ目線で、常に彼らの心と向き合わなければならない。
「ちょっと仕事で。大丈夫ですよ。すぐ治ります」
絆創膏を親指でさすりながら答えれば、カカシは小さく相槌をした。
「へえ、仕事」
その言葉にカカシを見ると、グラスを傾けながら、眠そうな目がイルカを見ていた。胡乱とまではいかないが、探る様な眼差しに慌ててイルカは頭を回した。
「あ、…子供の世話で、」
「子供」
「はい。小さな子の世話をする仕事をしてるんです」
「へえ」
興味がないような、あるような。納得はしたのか。そんなカカシはまた箸で器用に魚の身をほぐして口に入れた。
「昼抜きで、怪我までして。大変だね」
そんな事を言われると思わなかったイルカは、少し目を丸くし、すぐに微笑んで視線を手元に移した。
「まあ、でも子供は好きなんです」
「好きだけじゃ務まらないでしょ」
「はい」
イルカは素直に頷きビールを一口飲んで口元を緩めた。
「いつだって全力でぶつからなきゃいけないって思ってます。あの子らは、それを心の奥で望んでる。あの輝く目を守るのは私達だけなんですから」
まあ、体力勝負で大変なのはありますけどね。
笑ってビールを飲み干す。
本当、アイツらは木の葉の忍びとして育てるには骨が折れる。でも、楽しくて仕方がない。それはイルカの本心だった。
横を見ればカカシと視線がぶつかった。さっきと同じ眠そうな目のはずなのに。何か違うものを感じて不思議な気持ちになる。
瓶ビールを自分のグラスに注ぎ、カカシにも瓶ビールを傾けた。
「どうぞ」
「ん、ありがと」
再び目を向ければ、いつもと変わらないカカシに、内心首を傾げつつホッとした。
気のせいか。
だけど不思議だ。カカシと話すのは楽しい。きっと彼が聞き上手なのもあるだろう。当たり障りない会話でも、意見が合いビールも美味しい。
お開きの時間はあっという間に訪れた。
同僚はいつものように、上忍と二次会へと向かって行く。
イルカはその背中を眺めてほうと息を吐き出した。
自分を口説いていた上忍は、別の女性を気に入ったらしい。その女性も二次会に行くと言う。このままその2人が取り敢えずでも上手くいけば同僚は開放されるのだ。
出来ればそう願いたい。
女に変化までさせられるこっちの身にもなってもらいたいもんだ。
ゆっくりと家路に向かいながら、イルカは軽く両腕を上げ伸びをする。
今日は1日バタバタしっ放しだったな。これで帰ってゆっくりと風呂に浸かりたい。新しく買った温泉の素。あれを使おう。体術の授業の日にはあれが効くんだ。
「疲れたの?」
大きな欠伸をして、口を開けたままのイルカの前に現れたのはカカシだった。
イルカは驚きながらも無理にギュッと口を閉じた。
帰ったとばかり思っていた。
「えっと、まあ、…普通に」
カカシは小さく笑ってイルカの前まで来た。
「ね」
「はい」
カカシの顔が近ずいてくる。それはあまりにも自然で。
「良かったらもう一軒行かない?」
耳元で低い声が囁かれる。間近で見る深く輝く青い瞳に吸い込まれそうになりながらも、イルカはいつもより大きい黒い瞳をパチクリとさせた。
たぶん自分は目を丸くしていた。思わぬ相手からの思わぬ申し出。
確かにカカシとの会話は弾んで楽しかった。それはカカシも同じだったという事だろう。深く考える事はせず、イルカは微笑んで同意した。
だってこの目の前にいる男は、本気にはならない。たぶんきまぐれで。気分でまだ飲みたくて、話し相手が欲しいのだ。
カカシの本心が分かっているだけに、それは悩む必要はない。
「今度はバーでもいい?」
望むところだと、イルカはそれにも頷いた。
今日は楽しい酒が飲めそうだ。
夜空には上弦の月。朧げに鈍い光を放っていた。
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