薄れる⑤

「ああ、これは美味しいですね」
イルカは日本酒を口にしてその旨さにウットリとした。
カカシの部屋で任務の依頼人からお礼で貰ったと言う大吟醸、名前さえ知ってはいたがお目にかかる事が滅多にない代物はイルカを唸らせた。
バーで飲みながらイルカの好きな日本酒の話になり、カカシも量こそは飲まないが好みの酒が似ていると、それだけでまた話しが弾み、先日手に入れたと言った大吟醸の銘柄に、カカシの家への誘いに二つ返事で頷いていた。
テーブルに乗せた一升瓶を眺め、改めてその酒のラベルを眺めて指でなぞった。
酔いがまわったせいか、頬が緩んでいる。それは分かってはいたが、嬉しくて堪らない。テーブルに顎を置いて、一升瓶を眺めるイルカにカカシは口元を綻ばせた。
「珍しいね」
「何がですか?」
「日本酒好きの女の人って俺の周りにもそういないのよ」
「そうですか?」
さして気にする事もなくイルカはまだ飽きずにラベルから目を離さない。
「これいただいた先は大名でしたよね?」
片足を上げてグラスに注いだ酒を飲んでいたカカシは軽く頷いた。
「そう、酒好きで有名な人でね、酒蔵も幾つか所有してるらしいよ」
「酒蔵!」
それに反応して、テーブルに伏せていた顔を勢いよく上げた。
「一回でいいから行ってみたいんですよ」
「へえ、試飲したいとか?」
「あぁ、まあそれもありますよ。でもね、本で見ただけなんですけど、あの茶色のボンボン。あれ、一度でいいから本物を見てみたくて」
頬を赤くしながらイルカは思い出すような顔を見せた。
イルカのその表情を見ながら笑いを含ませ、目を細めた。
「杉玉ね」
「すぎ、たま?」
「うん。その酒蔵で新酒が出来た時に知らせる為に吊るしてるんだって。杉の葉で出来てるから杉玉って言うらしいよ」
「杉玉!」
「でね、さっき茶色って言ったけどね、あれは最初は鮮やかな緑色らしいのよ。それが徐々に茶色に変化してくんだけど、その色の変化が熟成の具合を表してるらしいよ」
その名前に加え説明もイルカは意味を理解し目を輝かせた。存在こそ知ってはいたが、由来までは知らなかった。
「カカシさんは色々知ってるんですね」
イルカの台詞に小さく笑を漏らすと、謙遜するように首を振った。
「その大名の受け売りですよ。任務の合間に話し相手として聞かされたの」
それで酒貰えたんだからさ、割のいい仕事だったんだよね。カカシは言ってグラスを傾けた。
話を聞く限りでは大名の護衛とか、その類なのだろう。だがカカシが受け持つ任務になると他の里の忍びとの交戦があってもおかしくはない。相手も上忍レベルの忍びだ。サラリと話をするが、大変な任務には違いないだろう。
上忍にも色々いるが、その強さを鼻にかけるわけでもないカカシのヒヤリと冷えた青い瞳とぶつかり、イルカは顔を綻ばせた。
悔しいけど、いい男だ。
今度自分から酒飲みに誘ってみよう。今まで一線を引いていた距離を、少しでも縮める事が出来るだろうか。
今日みたいに、楽しい話をしたい。
そんな事を考えるのは酒がだいぶ入ったからだろうが。
ふと目にした時計の針は楽しい時間の終わりを告げていると知る。
「今日はもう帰ります」
イルカは髪を耳にかけると、テーブルに手をついて立ち上がった。
「ありがとうございました」
にこやかに笑顔を見せて頭を下げる。その頭に、ふわりと何かが当たった。
顔を上げながら上目遣いに伺う。触れたのはカカシの掌だ。と、もうそこにはカカシの顔が目の前まできていた。あまりにも近すぎて思考が追いつかないまま唇が塞がれる。カカシが屈んでいるのは自分が女に変化して背が低くなっているからだと、気がつく事さえ出来なかった。
瞬きすら出来ずに固まったままゆるりと入り込む舌に、イルカは弾かれるように我に帰る。瞬間カッと頭に血が昇った。
「やめてください」
逃れるように首を捩りカカシの唇から逃れた。カカシの口から香る日本酒の匂いに酔いがそうさせていると感じ、イルカも慌てて自分を冷静さを保つべきだと思い直す。
カカシは酒は好きだがそこまで量を飲まないと自分で言っていた。最初の中華料理屋からバーに至り自宅での日本酒。カカシは酔っている。
「飲み過ぎじゃないですか?カカシさん」
カカシの腕を掴んで顔を覗き込んだ。しっかりして欲しくて、ジッと瞳を見つめれば、カカシもイルカのいつも以上に大きな黒い瞳を見つめ返す。淡く青い、その奥の色が変わったのが分かった。それは雄の色をしていると、本能的に感じ取る。ふとその目が緩み、見た事がないカカシの色気に、視線を奪われた。
「セックスしよ?」
薄い唇がそう告げる。
はっきりと誘われた。ブワとイルカの頭に以前交わしたカカシとの会話がフラッシュバックされる。本気にならないと言っていた。その言葉の裏を返せば遊びならいくらでもする、となる。
遊びで。だからこうして上手く女性を誘っている。
すごいな。
イルカは素直に感心していた。
きっと普通の女性なら喜び勇んでしまうことだろう。自分も男ながら見惚れてしまっていた。ここまで来る流れもごくごく自然で、一緒にいて本当に楽しくて。話足りなくて、ずっと居たいと思った。
でも彼は本気ではないのだ。
こうしてセックスをしたいと、はっきりと目的を言われても、女性は嬉しいのだろうか。
イルカはその顔から目が離せないまま思考を続け、それを承諾と解したのか、少し開いたままのイルカの唇にカカシの唇が再び重なる。
身体がビクリと跳ね、イルカは慌てて顔を伏せた。カカシが少しだけ眉を寄せ、不思議そうな顔をする。
「どうしたの?」
「あのっ、」
目を伏せたまま、イルカはギュッと唇を噛んで、カカシへ強く視線をを向けた。その視線を受けたカカシは少し頬を緩ませた。
「なに?」
「遊びでセックスすることは出来ません。カカシさんの家に、…家に来たのはそんなつもりで来たわけじゃありませんから」
「じゃあどんなつもり?」
「…え?だから、…もっと話をしたくて、」
カカシが目を丸くしたのが分かった。
「アンタみたいな子、初めて」
丸くした目が次第に変わり、細められる。


カカシは笑った。


瞬間、ドキンと心臓が今まで動いた事のない震え方をした。
その震えに視界まで一瞬ブレる。心臓は変な動きを継続してバクバクと跳ね続けている。
大きく瞳を見開いたイルカに不審な顔を向ける。
「…どうしたの?」
どうしたもこうしたもない。
胸がおかしい。不整脈どころじゃない。
「かっかっ、かっ、かっ」
開いた口から上手く言葉が出ず、かを言い続けるイルカに首を傾げた。
「か?」
「か、かっ、帰ります!」
ようやく出た言葉を言い放つと、イルカは呪縛を解かれたように、身体をよたつきながらも鞄を持ち玄関へ向かう。
思い出したようにくるりとカカシに身体を向け、
「御馳走様でした!」
それだけ言って、勢いよく扉を開け部屋を転がる様に出た。


1人部屋に残されたカカシは、口に手を当て、ひっそりと笑いを零した。


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