薄れる⑥

「お、いたいた、イルカ!」
「あぁ」
職員室、自分の机で手を動かしていたイルカは振り返りもせずに返事をした。相手はポーカーで負けたばかりに上忍の合コンをセッティングする事になったあの友人。上機嫌な相手の様子にイルカは気が付くわけでもなく。その友人はイルカの横まで歩いてきた。
「この間の合コン、あれで上手く行きそうなんだよ!本当、これでこのまま上手くいかねえかなあ。そしたら俺もようやくお役御免で、」
友人はそこまで言って、イルカを見詰めた。
「何やってんの?」
さっきから。
不思議そうに首を傾げる。見る限り、イルカの机の上には物が散乱しており、引き出しも然り。あまり目にしない酷い散らかりように友人は思わず顔を顰めていた。
イルカはその声にようやく顔を上げた。
「あ〜、いや。別に?」
別にと言うにはやけに必死な感じにも見える。友人はイルカを見て、話を続けた。
「お前も祈っててくれよな」
「…あ〜、…何が?」
話を聞いていなかったと、イルカは素直に聞き返す。友人はまあいいや、とイルカの肩を叩いた。
「取り敢えずありがとうな」
「?おう」
「で、今日暇か?前祝いしようぜ。勿論俺が奢る」
胸を張る友人に、イルカは戸惑いながら苦笑いを浮かべた。
「悪い、今日はちょっとな」
目を散乱している机に落とす。友人は首を傾げたが、さしてイルカの断りも気にする素振りも見せずに笑った。
「まあいいや、じゃあ今度な」
「ああ、今度」
友人が背を向け職員室から出て行く。それを見送って、イルカは大きく息を吐いた。そして頭をガシガシと掻いた。
ない。
どこにも、ない。
それは2日前気がついた。
肌身離さず持っていたお守り。亡き母親が自分の為に手縫いで仕上げたお守りは、イルカが何よりも大切にしていた物だった。いつもは支給服に忍ばせている。3日前に飲み会で女性に変化した際に、服装を女性に変え、怪しまれない為にも外して鞄に入れた。
そう、確かに入れたのに。
そこまでは記憶がはっきりしていた。翌日シャワーを浴び着替える時に気がつき、鞄の中を探したが何処にも見当たらない。
時間がなく、そのまま仕事に出て、帰ってきて家中探したが、やはり見つからなかった。
思い当たるのは職場かと、必死で机の中を探していたのだが。
イルカは椅子に体重を預けるように腰を下ろして、眉間に皺を寄せた。
散乱した自分の机を眺めながら、泣きたい気分になる。
あれだけ肌身離さず持っていたのに。
もしかしたら鞄じゃなく、財布に入れたのかも。
もう何回探したか分からない財布をもう一度取り出し中を漁る。
やはりない。
時間切れとばかりに予鈴が鳴る。
イルカは机の上を適当に片付け、任務報告所の受付へ向かった。


このまま出てこなかったらどうしよう。母に顔向け出来ない。
取り敢えず、慰霊碑に謝りに行こう。謝っても許してもらえないよな。いや、自分が許せない。
今までずっと無くさず持っていたのに。
頭を抱えたくなる。
「イルカっ」
俯いたままのイルカに、隣の同僚に肘でつつかれる。
顔を上げ、目に映る相手に驚き目を開くーーカカシが目の前に立っていた。驚くイルカに露わな右目が微笑んだのが分かった。
「どうしたの?イルカさんらしくない」
そう言ってカカシは報告書を机に置いた。
急な展開に頭が回転しなく、ただイルカはすみません、と謝り置かれた報告書を急いで目を通す。
目の前にいるだけで何故かそわそわしてしまっていた。数日前、自分に迫った相手。あのまま帰らなければ、本当に押し倒されていただろう。囁かれた熱い声。思い出しただけで、未だカカシの低い声が耳元で聞こえる気がする。それに反応するように、身体からチリチリと変な痺れを感じた。
ぐんぐん上がる心拍数を抑えるようにイルカは身体に力を入れる。
報告書はいつもながら綺麗な字で、記述漏れもない。顔を少しだけ上げれば、カカシにニコリと微笑まれ、反射的に目を逸らしてしまった。
それじゃいけないと思い直し一息吐き出すと判子を押し、頭を下げた。
「問題ありません。お疲れ様でした」
「お疲れ様」
頭を下げながら。ふとよぎる。
もしかして、カカシの家に忘れてきたのではないだろうか。
勢いよく顔を上げる。出口へ向かっているカカシの背を眺めて、思わず立ち上がったが、そこで思い留まりそのままカカシが出て行くのを見送った。
家に行ったのは変化した自分だ。今の自分がカカシに聞いたら怪しまれるし、なにより事情を話すわけには行かない。不快な思いにさせる。
女性に変化して聞けばいい事だが、出来ればもう変化してカカシに顔を合わせたくなかった。あの夜からどうも自分はおかしい。
なにより、心の内ある予想が確信に変わるのが怖かった。
身体が再び熱くなり、頬も赤みが増す。赤い顔のまま、イルカは眉間に皺を寄せた。
隣の同僚がイルカの顔色や不審な動きに眉を顰め窺っていた。
それに気がつく事なく、イルカは立ったまま顎に手を置き思考を巡らせる。
だとしたら。カカシの家にお守りを忘れているのだとしたら、コッソリ見には行けないだろうか。酔ってはいたが場所は覚えている。
任務でいない時を調べてその間に行くしかない。
いやまて、早めに行かないと見覚えない物は処分されかねない。もうあれから3日経ってしまっている。
「イルカ…お前さっきから何してんの?」
いい加減声をかけた同僚に、イルカはくるりと顔を向け手を肩に置いた。
「悪い、急用思い出したからちょっと抜ける」
珍しい言葉に同僚は目を丸くした。逆はよくあるが、イルカから仕事を抜けるなんて言われた事がない。よっぽどの事だと頷けば、イルカは直ぐに報告所から姿を消した。




イルカは考えた末にまた女性に変化していた。
カカシの近所で自分がウロウロしているのを誰にも見られたくない。
カカシは今はきっと待機所だ。
軽い身のこなしで誰にも見られぬよう身を潜めながらカカシの家まで来た。
上忍専用のアパート。誰もいないのを確認して部屋の前で足を止める。
鍵、かかってるよな。
深呼吸をしてドアノブを見詰めた。
兎に角、開いているか試して、開いてなかったら開錠を試みる。それから窓も。
ーーーまるで盗人だ。
イルカは憂鬱な気持ちになった。
それでも自分のお守りを見つける事が先決だ。
気持ちを入れ替える為にもう一度深呼吸する。
それで駄目なら、やはりカカシに直接聞くしかないだろう。
取り敢えず、とドアノブに触れた瞬間。
「ひゃあ!」
ビリと感じた時には全身に電撃が走った。
驚きのあまりそれが防犯用の結界だと分かっているのに。余りにも久しぶりの衝撃に足元からへなへなと崩れ座り込んだ。髪の毛が逆立っている感覚に襲われ、無意識に頭を撫でた。
(じょ、上忍レベルの結界怖い…!)
緊張感が身体にあったからか、涙目になりながら、バクバクする心臓を抑えた。
「おい、何してる」
その声に身体がビクと反応した。
やばい。見つかった。
青い顔のままゆっくりと声のする方へ顔を向ける。
「あ、」
「…あ」
飲み会で自分を口説いてきた上忍が立っていた。イルカを覚えていたらしく、顔を見て警戒を解き、だが不思議そうにイルカを見た。
「こんな所でなにしてるんだ?」
「あ、…えっと…」
どうしよう。
まさか不法侵入しようと試みましたなんて、言えない。座りこんだままの自分は明らかに怪しいだろう。返答に窮する。
「もしかして、カカシか?」
男は、イルカが座り込む先がカカシの部屋だと気がついたらしい。イルカは悩みながらも数回頷いた。
「ちょっと忘れ物しちゃって。…でもカカシさんいないみたいで」
苦笑いを浮かべると、男はイルカの前まで歩み寄り、手を差し出した。
「ノブに触って結界に当たったんだな」
状況を飲み込んだと、イルカの言葉を信用している男は口元に笑いを含んでいる。
「すみません」
支えてもらいながら立ち上がり、ホッと息を吐く。視線を感じ顔を向ければ、男がジッとイルカを見ていた。
「カカシと付き合ってんのか?」
その言葉にイルカは目を見開いた。
「いえ!付き合ってなんか!」
ぶんぶんと激しく首を振る。
自分がこんな所にいたら勘違いしてもおかしくない。彼女だと言えば良かったか。
だが、素直な性格が裏目に出たのか。反射的に否定してしまっていた。その反応を見て、男は笑みを浮かべた。何とも人の悪い笑みだ。
「だったらさ、俺の部屋に来る?」
「へ?」
それにもイルカは目を丸くした。出来ればもう退散したい。
だが、気がつけば男の手がイルカの脇腹にきていた。
「あ、いや、でも」
その手を振り払いたい衝動に駆られ、身体を捩るが手は動かない。逆に摩られ全身が粟立った。
相手は上忍。力では敵わないが、男の姿だったらそれなりに抵抗する。
が、友人の件がまだ片付いていない中で、変化を解くわけにはいかない。
どうしよう。
そればかり頭に浮かぶが、焦りと触られる事による寒気で混乱しかけていて、いい案が思い浮かばない。
しかしはっきりと拒否をしなければ。
イルカは顔を上げ、間近にある男の顔をしっかりと見た。
「あの、止めてください」
強く主張したつもりだった。黒い瞳は先ほどの結界の時から潤んだまま。見上げたイルカの顔を見て、男の表情が変わった。
それが本能的にやばいと思った時には、唇を奪われていた。驚きにイルカは大きな目をますます見開く。
手首を掴まれ身体を寄せられ、イルカは抵抗するが力ではやはり敵わない。
「んー!んーー!!」
嫌だと身体を捩っても男のもう片方の手がジリジリと身体を弄り始めていた。
気持ち悪い。
嫌悪感で全身が拒否をしている気がする。
友人には悪いが、これは変化を解くしかない。
そう心に決め、印を結ぼうと指を動かす。


「ちょっとちょっと」


低く、声通りの良い声が廊下に響いた。
イルカの身体を封じていた男がバッと手を離し、イルカはその早さに身体をよろめかせた。
顔を向ければ、カカシが両手をポケットに入れ立っていた。
ニコニコと笑っている。
「駄目でしょ?人のものに手を出したら」
にこやかな表情で、だが相手の男は顔色が真っ青だった。
「だっ、この女が誘ってきたんだからいいだろ」
はあ!?
イルカは驚きの余りに声もでず、信じられないと男を見た。
何を、どうなったらそんな嘘。
愕然として違う、と言おうとした時、カカシが口を開いた。
「へえ、そう。ま、いいや。取り敢えず消えてよ。後でシッカリ話聞いてあげるから」
カカシが言えば、男はヒュッと息を吸い込み、そのまま駈け出すように廊下から姿を消した。
一難去ってまた一難とはこの事かもしれない。
イルカは乱された服を整えながらカカシの顔をチラと窺った。
カカシは大きく態とらしいくらいに溜息を吐くと、イルカの前まで来てポケットから手を出す。
ビクとイルカの身体が強張った。
「良かった」
その声は安堵感に満ちていた。
指の背で頬を摩られ、驚いて顔を見れば、カカシは少し困った顔をしている様に見えた。青い目を細め、暖かい指で優しく、ゆっくりと頬を撫で、そして指が離れた。
それだけで頬から熱が消えた気がした。
惚けたようなイルカを前に、カカシがポケットに手を戻し、首を傾げた。
「どうしたの?部屋まで来て。…俺に会いにきたんだよね。…それとも本当にあの男に用だった?」
イルカは慌てて首を横に振った。何で慌てるのか。自分でも分からない。
「ちがっ…、すみません。…私、カカシさんの部屋に忘れ物したきがして。…それでここに」
「あぁ、もしかしてお守り?」
イルカは目を輝かせて顔上げた。
「はい!」
「そっか。やっぱりあんたのだったんだね」
いいよ、おいで。イルカの表情を見て微笑むと、ポケットから鍵を取り出し、片手で素早く印を組む。そこから解除して、扉を開けた。

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