夜空にただよう②

なにやってんだろうね、俺は。
川沿いの土手で立ち止まる。
気がついたらここまで来ていた。
ーー自分の家と反対方向。
1人頭を掻き溜息を零した。何するでもなくしばらく歩き、座り込んだ。
仰ぐと視界に嫌でも入る星の瞬きが鬱陶しく感じ、顔を顰めた。

自分の掌を見つめた。手甲から伸びる指は、先ほどイルカの肌に触れた。
可笑しいのか?いや、相当だろ。
唇を歪めて笑う。
後悔と反省の念が心に現れる。

それまでの人生カカシが他人と感情を含めて触れ合うのは戦場だけだった。生き残る為の心理戦は得意だ。
それがどうだ。イルカを前にしたら、後先よりも自分の気持ちが先に動いていた。
自分の欲が理性を超えるのは情欲の時だけだと思っていたが。
自然眉頭に皺がよる。
触れた時に見せたイルカの顔が頭から離れない。少し前の自分だったら、イルカをその場で押し倒していたのかもしれない。
下半身に擡げた黒々とした塊を押し下げたのは、小指くらいのちっぽけな理性。
薄氷のような今の関係にヒビが入るのを恐れたからだ。

思えば意識し始めたのは最初からだった。
イルカと初めて会った時の事を思い出したカカシは頬を緩ませた。





イルカと顔をあわせる前、金髪の部下がよく口にしていた「イルカ先生」には特段何の興味も湧いていなかった。
先生と言う部類に今迄自分が遠すぎる場所にいたせいもあるが、その先生に自分も加わっている事実に慣れていなかったのもある。また同じ言葉では括れない立場の相違もそうさせていた。

任務を終え部下を連れ報告所に足を入れた時、黒い髪の男が解りやすいほど反応を示した。背後にいたナルトもそれと同時に前に飛び出そうとし、カカシは掌で其れを制しながら、成る程ね、とイルカの存在を認識した。
「なーに飛び出してるの。お前は後ろ」
金髪の頭を数回抑えれば、ちぇー、と子供らしい不平を口にする。
「初めまして、イルカ先生」
無作法とは思っていなかったが、何となくポケットに入れていた片手を出し報告書をイルカに差し出した。
……あれ
イルカが作る僅かな間にカカシが内心反応した。が、すぐに破顔を見せられた。
「任務お疲れ様でした、カカシ先生。あと、初めましてですね」
先に言われちゃいましたね、と照れたように鼻頭を掻くイルカの台詞から、破顔の前に見せた分からなかった表情の正体を知り、真面目な性格を垣間見た。
報告書に目を通すイルカを冷静に眺め、ナルトが話していた通りの曲折のない性格だと納得した。
「なっ、イルカ先生ってば俺の言った通りの先生だろ!」
「言った通りって、俺会ったばかりだよ。てかお前ははしゃぎ過ぎだからね」
その言葉からナルトが如何にこの「イルカ先生」に重点を置いているかを再認識して、思わず眉を下げた。こっちが恥ずかしくなるくらい屈託のないナルトの笑顔に、心から信頼を置いていると読み取る。
「俺の今日の活躍ぶりを言うってばよ!」
「あ〜、はいはい。もうちょっと大人しくしなさいって」
イルカを前に忍びとして任務を報告出来る嬉しさからか、再びテンションが上がったナルトに、カカシは背を屈めて返した。
ふとイルカの視線を感じて顔を向けた。
少し惚けたような、そんな顔のイルカに首を傾げる。
「……?何か不備がありましたか」
「あ、いえ!特に」
「……そうですか、じゃ」
頭を軽く下げればイルカはガタン、と席を立ち頭を下げた。
「ナルトをよろしくお願いします!」
勢い余って椅子が背後に倒れる音に、ナルト達が声を立てて笑った。
苦笑いして赤らめた顔で椅子を直すイルカを見ながら、どうすべきか驚きながらも躊躇していた。
面識がない目の前の男に対して返答の仕方が分からない。
何であんたが俺に。
相手が中忍だからではない。真っ直ぐ過ぎるイルカの心に、カカシの胸の内に動揺が広がっていた。
他人に心を乱された羞恥心を誰に悟られる訳でもなかったが、カカシは真っ直ぐイルカを見れなくなっていた。
「はぁ…じゃあ、ぼちぼち頑張ります」
「はい、お願いします!」
頭を掻いて無理に笑えば、イルカに笑顔を返され面食らった。
ナルトと言う接点だけの俺に対してそこまで言われたくないと反射的に出た言葉は、多少の皮肉が込められていたのだが。
純朴なほど綺麗な瞳を向けられ、思わず視線を逸らしていた。
カカシはさっさと退散した。








ナルトやサクラがカカシに伝えた印象通り、イルカに初めて会って明るくておおらかな人間だった。
ナルトを九尾の子だと蔑む同胞が殆どだ。九尾の妖狐が木の葉の里を襲撃したのを踏まえると、周りの反応は当たり前で、それがセオリーのようなものだ。それを第三者として見て感じてきたのに、イルカはそれを微塵も見せつけない。
それに加え自分の皮肉を真っさらな気持ちで気が付きもしない。

イルカと言う人間を知りたいと思った。

だがイルカは一言で例えるならばーー難しい。
彼を難しいと捉えるのは自分しかいないだろう。だが、カカシにはどうしても難しく感じた。
理由を並べたらいくらでも出てくる。
接した事のない性格だから、正反対の人間だから、立場が違う中忍だから。
ーーもっと踏み込んで言うならば、率直に感情を露にできるイルカが眩しかった。
それが自分に潜伏している気持ちだと気がついたのは正に今日だった。
自分の立場をわきまえていながらも、あの場で提言したイルカは純粋な気持ちをぶつけてきた。決定は覆らない。それが分かって尚口を開いたイルカを見た時、気持ちが沸き立った。
イルカとはお互い立場が違う。そんな事は分かっていた。自分にはナルトとサスケを監視をする立場にある。しかも波の国でナルトは九尾のチャクラが覚醒しかけ、サスケに至っては写輪眼を覚醒させた。今回の選抜試験推薦における自分の判断は間違ってはいないだろう。アスマや紅も然り同じ考えを持っていたはずだ。
中忍の苦言など、そのまま火影に任せれば、上手くイルカを抑えて事なく終わるだろう。自分はその会話をスルーしておけばいい。分かっていたが、抑えきれなかった。イルカの気持ちに自分の気持ちをぶつけたくなった。
正面からイルカと向き合いたくなっていた。
結局自分の根底にあるのは、イルカと同じ、あの2人を見守りたいと言う強い気持ちだ。
だがそれは水面下に忍ばせておかなければいけない感情。
悔しくて、その気持ちをイルカにぶつけた。
ナルトは自分の部下だと、押し込めた。
ーーうまくいかないよね。
結果、ただ単に自分がイルカと言い争いをしただけになった。
丸でガキの口論だ。
自分らしくない。
イルカの前ではどうしても自分らしさを失う。
それが今日良く分かった。


座っていた土手から腰を上げた。
今日はたぶん寝れそうにない。
闇が溶けた夜空をぼんやりと眺めた。
「またね、…先生」
誰に言うでもなく空に小さく呟き、手持ちぶたさに歩き出しながらも、家路へと足を向けた。


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