夜空にただよう④

「……俺、初めてカカシさんを見た時思ったんです」
「…ええと…何を?」
イルカは視界にしっかりとカカシを入れた後、窓から空を見上げた。
茜色に雲が染まり始めている。気が付けばアカデミーの廊下まで来ていた。既に授業が終わった教室は閑散とし、廊下も同じく静まり返っていた。
「今も変わらない所がありますが、アイツは…ナルトは無鉄砲で負けず嫌いで、生徒の頃は手に負えない位悪戯ばかりだった。俺は毎日の様に怒鳴ってました」
思い出に耽る横顔は教師の顔になっていた。
「誰かに認めて欲しかった。だから自分の存在をアピールする為の手段だったんですよね」
「…まぁ、アイツの生い立ちからすればそうでしょうね」
イルカは力強く頷いた。
「孤独は恐怖です。それが痛いほど分かった。だから俺はどうしても放っておけなかった」
多くの犠牲者を出した九尾の妖狐の里の襲撃。イルカも両親を殺された。
多少のイルカのデータはカカシが調べた物だ。どの忍びも忍びである以上様々な過去が見え隠れするが、イルカの闇を知りたかった。
その過去を持った上でただの明朗な人柄でないと理解していた。
たぶんこの人はーー自分と重ねている。
カカシの視線を受けながらもイルカは頼りない笑みを浮かべた。
「もう生徒じゃない、それは分かってます。頭では分かってるつもりなんです。でも心配が頭から離れなくて」
目線を合わせられ、軽く微笑むと安心した様にイルカは顔を緩ませた。
「だから甘えと言われれば当然なんです。特別視している事には変わりはないんですから」
「特別視だなんて言っても、あなたは他の人と違った。アイツと同じ目線に合わせた。特別視とはまた意味が違う」
「甘えには変わりないです」
言いきられてカカシは苦笑いした。
「初めてあなたに任務報告所で会った時、ナルトに一忍者として向き合ってくれていた。それが分かった時俺思ったんです。ああ、俺と同じように向き合ってくれる人がいる。って」
俺あの時泣きそうになったんですよ、とはにかむ様にして鼻頭を掻いた。
知ってる。
あの場の様々なイルカの表情がカカシの脳裏に浮かぶ。
自分はあの時、戸惑いイルカを受け入れる事が出来なかった。皮肉さえ真っ当に受け入れられてしまったあの驚きは今でも忘れない。
そして目の前にいるこの人は、今も変わらない。真っ新過ぎてどうしようもなく俺を狂わせる。
本当に、初めてだ。こんな人。
カカシは知らず小さく笑っていた。
「そうね、アナタはナルトの孫まで面倒見そうな勢いだもん」
ポカンと口を開け、カカシの言葉を飲み込めたのか、パッと顔が赤くなる。
「そ、そんな訳ないじゃないですか!孫だなんて何十年先だと思ってるんです」
イルカ自身考えてもみなかったはずだが、的を射た言葉だと認めるような複雑な顔をした。
「いや、意外にあっという間ですよ?もうすぐです。すぐにアイツらの時代になる。まあ...俺はその時はお役御免でのんびりと暮らしたいものですけどね」
呆けた顔の後、イルカの目が弓なりになった。カカシは首を傾げた。
「なんです?」
「嬉しくて」
「嬉しい?」
「カカシ先生は優れた忍びですから、のんびりと暮らしたいなんて、なんかあたり前の台詞すぎて」
「…そうですかね」
「でもそうですよね。こんな考えこの世界からしたら身も蓋もなくなってしまいますが、のんびり暮らせる。それが一番大切な事かもしれません」
「............」
複雑な顔を見せるイルカは恥ずかしそうに唇を噛んだ。忍びの存在意義は彼の見せる表情と同じ、複雑だ。カカシは敢えて無言を選んだ。
イルカは窓の外を見つめている。落ちかけている太陽を見ているのか、近くにある桜の木を見ているのか。イルカの表情をぼんやりと見つめた。不意に忘れようとしていた顔と重なる。
それは余りにも突然で。
心に現れる自分でもよく分からない気持ちに、カカシは知らず口を開いていた。
「...だれも争いなんて望んでない。俺はね、四代目が成し得なかった物を受け継いで、アイツらに渡したい。ただ、それだけなんですよ」
言った後にハッとした。
有り得ない。
四代目と言う言葉を選んだ自分に内心驚き、不本意に見せた部分を隠す様に、
「…まあ、ナルトは意外性のある忍者ですから?そこに俺は期待もしていますけどね」
方向を変え付け加えたカカシの台詞にイルカは静かな表情で聞き、小さく笑いを零した。
「でも、俺にとってはあなたの方が意外性ありますけど」
意地悪な眼差しを向けられた。
「え、俺?...そうですかね」
「そうですよ。ナルトに意外性はまあ確かにありますげど、あなたに比べたらナルトなんて可愛いものです。あなたは行動が奇怪ですし、何考えてるか分からない事の方が多いし、」
大体窓から家に入るなんて有り得ないですよ、と非難の目を向けられ、ごもっともと頭を掻くと、イルカはふと地面に視線を落とす。
「…?」
「…なのに、時々あなたは自分の芯をしっかり俺に伝えてくる。…本当に不思議な人です」
イルカはパッと顔を上げた。

「あなたに会えて良かった」

今自分はどんな顔をしているのか。
止まってしまった時計の様に、自分の思考がピクリとも動かない。
イルカはただ黙ってカカシを見、澄んだ黒い瞳をカカシに見せた。
「…不安で仕方なかったんです。あの輝く笑顔を護れるほど俺は力がない。だけど、俺は支えたい。…カカシさんの言ったように、あの子の未来を自分の中で抱え込もうとしていたんですね」
そう、冗談ではなく本当に。イルカは全てを自分に曝け出していた。
「だから嬉しくて仕方がないんです」
ナルトを護るのは自分しかいないと。イルカも、そして自分も思っていた。
どんなに隠そうとしても無駄だ。
これから待ち受ける忍びとしての儚い道を、子ども達と何処まで一緒に歩けるだろうか。
不安と恐怖を押さえつける平常心。それは自分にとって無くてはならない仮面。この人に会うまでそう思っていた。
そしてーーー四代目の遺した希望。
託された想いを分かち合える日が来ようかと誰が思うか。
  いいかいカカシ。人は一人じゃ生きられないんだ。
それは余りにも説教染みていて到底理解出来なかった。
今もよく分からない。死を背負う毎日に、希望ほど扱いにくいものはない。
いつだって逝く準備は出来ている。
出来ていたのに。
はたと頬に触れる熱い物に、それが涙だと直ぐに気がついた。拭う事もせずカカシは口を開いた。
「…俺はね、」
瞬きをするとポロと涙が落ち頬を伝う。
「……はい」
「ただ…怖くて。遺されたものが余りにも大きくて。目を背けようと何度も思った」
酷いな。何を言いだしているのか。
分かっているのに止まらなかった。
独白のような言葉に驚く様子も見せず、イルカはただ聞いていた。
「自分が死ぬのが怖いんじゃないんだ。逝ってしまった人を想うのが怖くて…っ」
四代目と発してしまった事で塞いでいた心の蓋の鍵がなくなっていた。思い出さないようにしていた記憶がしっかりと浮かび上がる。
金髪の師は優しい眼差しで語りかけてくれた。
でもね、先生。
死ぬ時は皆独りなんだ。
独りだと思わない日はなかった。
分かってもらおうとは思わない。
じゃあ何故俺はこの人にこんな事を話す?
ふと手が暖かくなる。
見るとイルカがカカシの手を両手で包み込んでいた。
何も言わないイルカは、ただ無骨な手でしっかりと手の内に入れていた。冷たかった指に温かみが戻ってくる。
不意に怖くなる。
この人を認めたらどうなるのだろう。
己から溢れる不安をこれ以上見て欲しくない。

カカシは姿を消した。


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